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『あ』行の映画。

■I LOVE ペッカー  ■アイアン・ジャイアント  ■青い春  ■赤目四十八瀧心中未遂 

■あの頃、ペニー・レインと  ■アバウト・ア・ボーイ ■アメリカン・パイ  ■アメリカン・ビューティ 

■アメリカン・ヒストリーX   ■アンチェイン  ■8Mile   ■エリン・ブロコビッチ  ■オスカー・ワイルド

I LOVE ペッカー (Pecker) [1998.米]  ☆☆☆

監督:ジョン・ウォーターズ

STORY:ペッカー(ボルチモア在住)はママの中古カメラがお気に入り。毎日ゴキゲンで撮りまくっている。バスでもアルバイトでも近所のスーパーでも。変てこ服が大好きなママにホモ大好きな姉や砂糖中毒の妹、それにコインランドリーで働くのが生きがいの彼女もみんなペッカーの写真が大好き。が、あるとき彼の写真がNYの批評家たちに見出されて大人気になってしまったから生活が一変してしまう。今までどおり、楽しく過ごしたいペッカーなのだが・・・

CAST:エドワード・ファーロング、クリスティーナ・リッチ、リリ・テイラー、ブレンドン・セクストン・V、マーサ・プリンプトン、ローレン・ハルシー、ジーン・シャートラー

何を隠そう、私は写真が苦手だ。自然に、なんて言われると顔が引き攣る。ぐえっ。自然にするのも大変だ。
ペッカーの写真はもちろん自然だ。ただ、演出した自然ではない。適当なものだ。ピンぼけでも、露出不足でも、とにかく彼の写真には愛がある!だから自然で美しい。愛なき写真はつまらない!というのがこの映画のテーマなのだ!と勝手に私は解釈。
ということでこれ、エドワード・ファーロング(こうやって見るとトビー・マグワイアと実に似てる。トビーを綺麗にしたような面立ちなのだが、歯が尖がってて変なのがキュート)演じるペッカーとクリスティーナ・リッチ(丸さ全開期。三白眼とオデコとふくれっつらがキュート)のラブストーリー、かつ家族愛(目が巨大な妹、ローレン・ハルシーが素晴らしい。壊れた猿のおもちゃ、もしくはおばけの出来そこないみたい。)、そしてボルチモア偏愛のお話。NYのアートシーン批評というのはちょっと違うような気がする。これはあくまでも愛のお話。困難を乗り越えて、皆と明るい未来へ進むのだ!という。
ブラックコメディに一見見えるが、ウォーターズ作品にある「悪意」があまり強くない。よくも悪くも普通だ。バカバカしくも楽しい、明るいホワイト・トラッシュたち。「芸術病」のNYじゃなくて、すっとぼけてて、イカレてて、愛らしいボルチモア=成功に関係なくしつこくバッドテイストを続けるジョン・ウォーターズ。どうやら、これは彼の自伝的な作品らしい。なるほどなるほどラストが大団円なわけだ。ぬるいっちゃぬるい話にはなってるけど、尺の短さとキャストの怪演でラブリーな映画になっている。(2003.5
.7

 
アイアン・ジャイアント (IRON GIANT)  [1999.米]   ☆☆☆☆

監督:ブラッド・バード

STORY:動物大好き&母子家庭育ちの少年、9歳の少年ホーガース。彼の新しい友達は森の中の巨大ロボット、アイアン・ジャイアント。とんでもなくデカイ、そいつはホントにいいやつなんだ。優しくて、ロボットなのに人間らしくて。ホーガースは金属を食べるジャイアントのために、スクラップ工場のアーティスト、ディーンに頼み込んで工場の敷地に彼をかくまってもらう。しかし、政府の捜査官マンズリーが謎の巨大ロボットの存在を嗅ぎつけてやって来て・・・1957年、スプートニクの話題で小さな町が大騒ぎだった頃。ロボットが夢の使者で、科学の主役だった頃。そんな時代の不思議な物語。

これが傑作と呼ばれるのは分かるなあ。アメリカ的な善意の押し売りへの強烈なアンチテーゼを、嫌味なく見せてくれる、優れたジュブナイル・ドラマティック・アニメーション。絵のタッチに好みはあるかもしれないが(多少雑な感じの外国アニメ調というのかな)私は結構はまったな。
話は他愛もないといえば他愛もない。1950年代アメリカ社会で起きた、少年と巨大な鉄人の不思議な出会いと成長のドラマ。それでも、「未知なるもの」を恐れるあまり「自分たちが創造したものではない巨大なものはすべて悪だ」と大暴走する捜査官とのブラック&荒唐無稽なバトルや、繊細さと危険さを入り混じらせたホーガースの逞しい少年らしさにはつい感動。鋭いアメリカ帝国主義への皮肉でありながら、テーマはあくまでも少年とジャイアントの友情譚であり、冒険のワクワクに満ちていて、押しつけない感じもいい。ラストシーンで見える希望の美しさ。あの何ともいえない心の奥から湧き出る嬉しさ。好きだなあ。

このジャイアントが何とも可愛いのだ。アンバランスな体つきでドスンと座る仕草。バンザーイ!と湖に飛び込む姿のお茶目さ。落ち込んでうなだれた空っぽの目の寂しそうなこと。ばりばりと鉄くずを食べて眠る姿の可愛いこと。そして、誇りに満ちたジャイアントの胸のプレート「S」・・・な、なんてイイヤツなんだー。とにかくいとおしくてたまらなくなる。なんとまあ声はヴィン・ディーゼルですか。ぴったりですな。声優陣がなかなかいい。ハリー・コニック・jrもジェニファー・アニストンも優しさを滲ませた声をしていて。

わわわ、調べて発見。これ、ジョー・ジョンストンがらみじゃないですか。あまりにも爽やかすぎて号泣モノの青春映画「遠い空の向こうに」好きだったんだけど、あれと同じ時代への愛を感じるなー、って思ったらそうだったのか。嬉しいなあ。ジョンストン、ホントに「あの頃」が好きなんだね。

余談だが、こういう作品を見るといつも思い出すのが「某企業の人型ロボットを見て、日本人はまず可愛いと思い、外国人は怖がる人が多い」というエピソードだ。私たち日本人は、気がついたらアトムがいて、ドラえもんがいて、コロ助がいて、アラレちゃんがいて・・・完全にロボ慣れしてるからなあ。ヒーローや悪の手下のロボットたちではなく、あくまでも友達としてのロボットたちが身近にいたから、人型ロボットの登場も新しい友達が出来るようでむしろ嬉しい。でも、アイアン・ジャイアントとホーガースの関係にはそんな日本に相通じる「機械も友達だよ」なメンタリティを感じた。そこがより共感できたポイントなのかもしれない。 (2003.12.19)
 
青い春  [2002.日本]  ☆☆☆☆(+☆☆、特殊な星取になってしまいました。今だからこそ、6つ星なのです)

監督:豊田利晃

STORY:松本大洋の短編「しあわせなら手をたたこう」をベースにした空虚な高校3年の少年たちの群像劇。「ベランダゲーム」にも「将来」にも、何もかも全てに関心を抱けない主人公九條と、周囲のどこかイカレた同級生たち。番を張ることになっても変わらない九條に違和感を感じながらも必死でついていく青木。甲子園への夢破れて後輩と遊んでいる木村。フォークソング部の雪男と暴走族少年太田、使いっぱの吉村。卒業を控えた彼らに、やがて少しずつ不協和音が生まれていく・・・ 

CAST:松田龍平、新井浩文、高岡蒼祐、大柴裕介、山崎裕太、忍成修吾、塚本高史、EITA、山中零、大宮イチ、鬼丸、KEE、小泉今日子、マメ山田

外に出ること、中に在ること。「学校」という場所の特異性。選ぶのは周囲でなく、自分でありたい、という願いを全開にする少年たち。暴力の意味。色々なテーマを内蔵した作品だが、何より少年の凶暴性というパワーに満ちた作品。
そのなかでもやはり印象を残すのは、どこにも興味を持てず無表情に青い空を見上げる、絶望すら超えた地点の絶望を体現する主人公、九條だ。
この映画を圧倒するのは、その九條を演じた松田龍平の存在。また一段、彼はステップを上ってしまったようだ。恐るべき才能。上から、横から、斜めから、正面から。驚くほど彼は顔を変える。しかも表情そのものは変化していない。美形でもなければ、そう凶暴な感じでもないし、渋くなるには若すぎ、強烈なインパクトを与えるような顔でもない。そこにあるのは圧倒的な「たたずまい」だ。「御法度」で見せた「人を斬りたい」という侵食物のようなエロスにも衝撃はあったが(セリフはかなり単調だったけど)その「たたずまい」が一段と存在感を増している。漫画から抜け出てきたような、空白の多い線画のような顔立ち、熱さのかけらもない暴力、俊敏そうな肉体、独自性が特にあるわけでない仕草、台詞回し。ということで、Somethingを思いっきり感じさせてくれる。稀有な若手だと思う。

ってまあ、これだけじゃ松田龍平の礼賛になっちゃうのだが、もちろん作品としても評価できる。豊田監督、よく分かっている。有望な若手(割と美形ぞろい)を総出演させても、女を絡ませず、分泌物のない乾いた血だけで覆ったストーリーとミッシェル・ガン・エレファントのガレージロック(やや使いすぎの感はあるが)。青い空に浮かぶ少年の絶望。桜が舞う春は二度とこない。・・・青い春。
☆は5にかろうじて届かないくらいの4。日本映画のなかでもかなり質の高い作品。(2003.1) 

追記その1:観た直後は「限りなく5つ星なんだけど、この作品に5つ星をつけたらダメな気がする」と思ったんですが(「完璧な作品」ではなくて、あらゆる意味で発展途上の作品だと感じたので・・・)この監督が妙に気になったので、インターネットでこの映画について色々調べてみた。いやー、この映画、すごく愛されてるんですね。特に同世代(現20歳前後)に。それがなんだか無性に嬉しかった。九條の「ここは、天国だよ」って言葉が無茶苦茶染みた、という受験生。先生の「花は、咲くものです」という言葉の温かさに昔を思い出して泣けた、という若い男性。「みんなカッコイイ!」と二次創作ストーリーまで作っている女子たち・・・いや、何だかすごいね。日本映画でここまで愛を受けてる作品も珍しいかも。多分、この作品のヒリヒリ感は「青春」に幸福になりきれなかった者たち誰もが感じる痛みなのだろう・・・
でこの後、『アンチェイン』『ポルノスター』とさかのぼって、豊田利晃の作品を見てみた。どれも好み。男の物語だけど、マスキュランにならない、不思議な特性がある。画的なキメと主人公の造型、ヒリヒリするような痛みと、それでもイビツに生きる者への深い愛情。この監督、ご贔屓です。(2003.9)

追記その2:もう一度『青い春』を見よう、と思っていた矢先、ミッシェル・ガン・エレファントが解散した。終わりは、いつだって、誰にだってやってくる。そして、同じものは二度と戻ってこない。決して熱くなれなかった男子たちにも。彼らを門の前で見ていることしかできなかった女子たちにも。誰もが、この世界で生きている限り「青春」は終わっても「あの頃の痛み」は消えない。九條は学校をやめたのだろうか。木村は生きているだろうか。野球部は甲子園に行けたのだろうか。・・・ミッシェルのライヴ盤を聴きながら考えているうちに、どんどん熱があがっていって、DVDまで購入して再見。
で、改めて、奇跡的な作品だということがよく分かった。若手映画俳優の男の子たちが、必死で役柄と格闘しているサマが伝わってくる。彼らが「役者」になりきれていない分、地の性格と役の性格が化学反応のようにバチバチと火花を散らしながらクロスして、それぞれのキャラクターが生まれ出ているのだ。今、彼らはきっと同じ演技はできないだろう。・・・きっと定期的に何度も観ることになる作品だ。そう思う心のなかで、ゆっくりとこの映画への思いが佳作→傑作にシフトしていった。スローモーションで開いた、あの花のように。気がつくと、涙ぐんでいる自分がいた。(2003.10.30)
 
赤目四十八瀧心中未遂  [2003.日本]  ☆☆☆☆

監督:荒戸源次郎

STORY:生島はその日、漂流物のように逃げるように、尼崎に流れ着いた。この地を、土地の人間は愛憎こめてアマと呼ぶという。疎外感を感じながら焼鳥屋の女主人勢子のもとで、臓物を串に刺し続ける仕事を淡々と続ける日々を送ることになった生島は、迦陵頻迦の彫り物を背負った不思議な魅力を持つ女性・綾と出会う。やがて、ふたりは駆け落ちのように赤目四十八瀧をさまよう旅に・・・

CAST:大西滝次郎、寺島しのぶ、大楠道代、内田裕也、新井浩文、大楽源太、大森南朋、秋山道男

匂いのする映画だ。夕暮れの暑い六畳間に積まれたモツの生臭さが立ち込める。味のする映画だ。勢子ねえさんがひっきりなしに吸う煙草の苦さよ。温度を感じる映画だ。生島と綾がもつれ合うようにまぐわうときの汗の熱さにはこちらまで汗ばみそうだ。空気が動く映画だ。尼崎の町、アパート、海辺、焼肉屋、モーテル、そして赤目四十八瀧。すべてがスクリーンの上で呼吸している。
何て映画だ。好きや嫌い、よく出来ている出来ていない、そんな判断を迷わせる、魔物のような映画。情念と業、美しい幻影と猥雑な現実が、ひしめきあう。荒戸監督をはじめとして、キャストもスタッフも全員が全身全霊をかけてこの作品を愛している。それがひしひしと伝わるその豊かさ。日本映画の底力、ここにあり。

エモーショナルな映画には「肉体派」(=肉体への信頼で作られた作品)と「観念派」(=テーマとなる観念の重みで作った作品)、があると思う。そして前者は深みがないと揶揄され、後者は分かりにくい、お高いというジレンマを持つ。そのどちらでもないのがこの映画。いや、どちらでもあると言うべきか。肉体が持つ生命への執着、血への恐怖、性の魔力、そういうものを信じているからこそ、観念的な幻想シーンが浮かない。稀有な存在感を持つ映画だ。
肉体への信頼として象徴的なのはモツ、焼肉、生卵といった食べ物が効果的に使われていること。人間の根本的な欲のひとつは食。生島はほとんど食物を口にしていない。ただ、モツを串刺すだけ。行きながら死んでいる男であることが隠喩される。逆に綾を思い出すと、さくらんぼを齧り、レバーを一口で頬張り、生卵を飲む姿ばかり浮かんでくる。生命を取り込んで生きる者の迫力そのもの。非常に観念的とも取れる幻想的な瀧のシーンの後にある電車内のシークエンス、彼女が最後に生島に与えたのは何だったか。あれは「生命のカケラ」なのだ。生島は、あのひとかけらを決して忘れないだろう・・・

生島役はこれがデビュー作の新鋭、大西滝次郎。巧くはない。内に篭る役柄のため、モノローグの表現力が弱いのが残念。ただ、とにかく全身に漲る緊張感が抜群にいい。体から強烈な負の匂いをたぎらせ、凄まじい眼光を放つ。ともするとものすごく苛立たしいのが生島というキャラクターだが、彼の眼差しの真摯さに漂流物になるしかない男の業がにじみ出る。徐々にいらないものを脱ぎ捨て、シャツ1枚になった彼の体の何という生々しさ。陰に陰にこもっていく感情とともに、アマで生きていく術が体に染み付いていくのが目に見える。だからこそ一度だけの全身の緊張がほぐれた微笑みの優しさが染みる。
また「あんたはここでは生きていけん」「ドブ河の泥の粥すすってきた」「うちは、何でも生島さんから取り上げてしまう女やな」という綾の造型も見事。白いワンピースに透ける背中一面の刺青。生命の塊のような女。「私はここにいる」と全身から主張される肉体の迫力よ。寺島しのぶ、一世一代の大博打の芝居。(この役を世襲と血縁の世界=歌舞伎界の女がやることの価値は、見てもらえれば分かるはずだ)・・・彼女は大勝をおさめた。大輪の向日葵を思わせる笑顔の何という哀しさ。その向こうにある、生命の輝きと諦念の深さを思えば尚更の痛み。
脇役がまた文句なくいい。とにかく素晴らしいのが大楠道代。なんて苦味ばしった表情だろう。ドスのきいたかすれた声に、骨ばった指に挟んだマイルドセブン。「まあええ、チンケに負ける豚もおる」「あの子、べっぴんさんやろ」言葉の端々が素晴らしいのなんの。勢子が必死に生島を守る姿に、彼女の業がにじみ出る。人を守らずにはいられない、一人で生きる女の業。彫眉を演じた内田裕也も凄まじい。彼もまた、敵か味方か分からぬ男。金長髪で得体の知れない老彫師。「いつも殺す気で捌いとる」男の、刺青を通じた情念が浮き上がる。新井浩文、大楽源太などのキャストも見事なまでにはまっている。すべてのキャストの「どこまで素なのか分からない」ような感情の起伏がスクリーンに焼き付けられている。

なんて言っておきながら・・・実は、私はこの映画を評価しきれていない。後半の四十八瀧巡りのあたりではもう完全にぐったりしてしまっていて眠気まで・・・。ただ、つまらなかったわけでなく、エネルギーを使う映画だったのだ、と思わせられるのがこの映画。ということで、評価は「多分」というエクスキューズ付で☆☆☆☆。ただし、必見作であることは間違いない。なるべく映画館でみるべし。そして、この映画の豊かさを、一人でも多くの人に確かめて欲しい。 (2003.11.29)
 
あの頃、ペニー・レインと (Almost Famous)  [2000.米]    ☆☆☆☆

監督:キャメロン・クロウ

STORY:厳格な母に育てられた少年、ウィリアム。母親の目を盗んで聴くロックを愛する彼は、地元誌に書いた原稿がローリングストーン誌の目にとまり、フツーの15歳の生活から一転、ブレイク寸前のバンドに同行取材することに。ペニー・レインをはじめとするグルーピー少女たちとの出会い、音楽だけでは分からなかったバンド・メンバーたちの確執・・・ドラマチックな旅のなかで彼は原稿を書くことができるのだろうか?そして、何を見つけることができるのだろうか?

CAST:パトリック・フュジット、ケイト・ハドソン、ビリー・クラダップ、ジェイソン・リー、アンナ・パキン、ファルーザ・バーク、ノア・テイラー、テリー・チェン、フィリップ・シーモア・ホフマン、フランシス・マクドーマンド

キャメロン・クロウは私の好きなタイプである職人型監督、なはずである。が。実は私、この人の作品苦手。すごく心地よく時間が流れてそれだけで終わってしまう、という印象しか持ってなかった。「シングルス」可愛いなあ、ブリジット・フォンダ。「ザ・エージェント」可愛いなあ、レニー・ゼルウィガー。そんな感じ。これはテーマそのものに共感できなかったせいもあるんだけど・・・すごく好きそうなテーマのこの作品なのに今まで見ていなかったのは、そんなわけ。
ところがどっこい、この作品でびっくりした。うーん、すごくいいではないか。好き好き。音楽がまだ「夢」とつながっていた頃のあたたかい音楽青春映画。ここまで作り手の優しくて切ない視線を感じたのは初めてかもしれない。これ、キャメロン・クロウの自伝的ストーリーなんだという。天才であり、少年であった時代への思いがバシバシ伝わってくる。天才少年(パトリック・フュジットの薄ら変な可愛らしさがぴったり)の孤独と幸福がヒシヒシと感じられる。今や完全にロックは攻撃的で暴力的なもの(そうでなければ商業的なもの)、と認識されるようになってしまったけれど・・・そうじゃない時代もあったんだよ、というおとぎ話のようなツアー・ストーリー。メジャーシーンで花開く直前のグループの直面する「現実」と少年の成長が重ねられていく、その切なくて爽やかなことといったら、眩しいくらい。

グルーピーの女神のようなペニー・レイン=ケイト・ハドソンももちろん可愛かったけど、これはスティルウォーターのギタリスト、ラッセルを演じたビリー・クラダップの魅力で持った部分もかなりあるでしょう!昔のロッカースタイルがカッコイイ!優しさとほの暗さ、狡猾さと純朴さの入り混じるキャラクターが見事。パーティのシーンでの一瞬見える気弱さと、そのあとの弾け方。あのアンバランスな子どもっぽさを嫌みなく見せる姿に惚れた。うん。(どうやら私、ミュージシャン役を完璧にやってくれた役者にはとそれだけで惚れる傾向があるらしい・・・)
登場人物、みんなが「いい人」なのもよかった。敵なのか味方なのか分からないんだけど、皆「いい人」。それは「つまんない。童貞狩りしよ」と弾けるグルーピー少女アンナ・パキン(子犬みたい。可愛い)も、何故か電話係と化すお人好しファルーザ・バルクも、「ラッセル、お前はギターなのにカッコよすぎる!」とすねるボーカル、ジェイソン・リーも、バンドのためと自分が彼らを思う気持ちで揺れるマネージャー、ノア・テイラーも、ウィリアムが「SPECIAL」だと見抜くフィリップ・シーモア・ホフマンも、息子を心から愛しているが故に過保護になってしまうフランシス・マクドーマンドも・・・ひとりひとりが愛に満ちている。表現の仕方は違っても、それぞれにひたむきに何かを、誰かを「愛して」いる。その幸福。

音楽には不思議な力がある。新しい世界を教えてくれて、それによって人の人生は変わっていく。音楽のMAGIC・・・というとロマンチックに過ぎるかもしれないけれど、私はそれを信じてて、愛してるんだなあ・・・。爽やかで、けれどホロ苦いラスト。やっぱり愛おしい。あの頃、ペニー・レインがいて、今、ここにロックが好きな私がいる。そんな幸せな気持ちでいっぱいになれた。(2003.8.31)
 
アバウト・ア・ボーイ (About A Boy)   [1998.英]   ☆☆☆☆(+☆、大嫌いだったヒュー・グラントの意外な魅力に)

監督:ポール・ウェイツ、クリス・ウェイツ

STORY:ノース・ロンドンに住む38歳の独身男ウィルは、クリスマス・ソングの一発ヒットを放った親の遺産で仕事もせず、家庭も持たず、「知的階級の優雅な暮らし」を満喫しする極楽ノー天気無責任男。だがある日、ナンパ目的で入ったシングル・ペアレントの会をきっかけに12歳の少年マーカスと出会ってから人生は一変。睡眠薬自殺を図った彼の母親を救ったウィルは、いつしかマーカスから妙に慕われる存在に。「世の中の面倒なこと」から一生逃げているつもりだったウィルは困惑しながらも、マーカスとの間に奇妙な友情が芽生えてきて・・・。

CAST:ヒュー・グラント、ニコラス・ホルト、トニ・コレット、レイチェル・ワイズ

よかった。こんなに幸福な作品に出会えて。このひねくれ者junkが、素直にニコニコしてしまったじゃないですか・・・こんなに見終えたあと嬉しくなった作品は久しぶり。さすが、『ハイ・フィデリティ』と同じ原作はニック・ホーンビイという作品だけあって、『アバウト・ア・ボーイ』の「ボーイ」は「男の子」ではなく「男子」でした。そしてこの「ボーイ」はマーカスだけではなく、ウィルを指してたわけだ、ということが見終えるとよーくわかる。人間は年じゃない。マーカスがウィルに馴染んだのも、同じ「男子」だったから・・・というのが何ともはや。
まあ38のモラトリアム男なんて、現実にいたら絶対ひっぱたいてしまうんだろうけど、この作品において面白いのは、それをウィル本人も知っていること。だからってどうする気もないもんね、という開き直りがまた始末に負えないんだけどさ。でもそれは、マーカスも同じこと。きっと、ずっと変わり者の、母子家庭の弱虫くんとして生きていくんだろーな、僕。という開き直りがある。けれど、ふたりの「男子」が出会うことで「男」として少しずつ変化する。その様の可笑しくもせつなく、けれどやっぱり可笑しいこと!(快作『アメリカン・パイ』にもあった「照れ」が見え隠れ。ウェイツBROSの真骨頂!)男子もつらいんだよねー、って笑いながら、その奥にある思いをじんわりと滲ませる。

BADLY DRAWN BOYの音楽が素晴らしい。「感傷」と「ひねくれ」を巧妙に織り交ぜた作品と、あの「マンチェスター声」(味のある、投げ出すような歌い方とかったるさを醸し出す声)がぴったり。で、それ以上に感心したのはその衣装。ウィルのファッションがいかにも「金とヒマのある独身男カジュアル」してるのだ。シンプルなTシャツ(でも素材と縫製のしっかりしたデザイナーズっぽい感じ)、ジーンズ(もちろん、量販されてない結構高そうなヤツね)、無造作に見せかけて実は頻繁に美容院に行かなきゃいけない短髪。うーん、キャラクターがきちんと理解されている。マーカス母子のヒッピーっぽい格好もチャーミングだ。ニコラス・ホルトのウサギを連想させるルックス(びくついた目とふっくらした色白の頬)にもよく合っているし、母親役のトニ・コレット(枯れた女をやらせると、ホントに上手い。『ベルベット・ゴールドマイン』のときも思ったけど、なんてリアルな泣き笑いができる人だろう!)の時代ずれしたキャラクターを自然に見せる効果がある。

ウェイツ兄弟の作品が興味深いのは「加速していく」ことだ。「アメリカン・パイ」もそうだった。通常のコメディだと前半は勢いで持っていて、中盤〜後半で多少たるんでくる。これが彼の作風だと逆転し、導入を置いたあとしばらく、無駄に近いようなゆったりとしたリズム(それでもテンポは落ちていない)でストーリーを展開してみせる。それがいつの間にか加速し始め、ラストまで一気に引っ張っていくのだ。好き好き。
それにしても不覚にも、ウィル=ヒュー・グラントを好きになっている自分には自分でも衝撃を受けた。こともあろうに、ラブコメ下手なくせにドタバタをやりたがり、「俺かっこいいけどお茶目もできるもんね」キャラという印象しかない、超OUTだったヒューだぞ。目を覚ませ私。なんて思ったけど・・・いいんだよね、実際。変な横分けサラサラヘアをやめ、短髪にしてすっきりしたし、ちょっと斜視っぽい目が皮肉屋のいいかげんなモラトリアム男っていうキャラクターにもあっている。こういう路線なら、うん、全然許せるじゃない。むしろ好きかも・・・えーっ、目を覚ませ私。(以下同文)


にしても、つくづく私は「男子」に甘いな・・・。  (2003.8.1)
 
アメリカン・パイ (American Pie)  [1999.米]  ☆☆☆☆

監督:ポール・ウェイツ

STORY: ミシガン州の普通の高校生ジムは頭の中はセックスのことでいっぱい。そしてもちろんいまだ童貞。親友のケビンもオズもキス止まり。もちろん童貞。変人フィンチは・・・とりあえず童貞。ある夜のホーム・パーティーの席で、シャーマンに先を越された四人は意を決し、卒業前に女の子と寝ることを誓い合うのだった。

CAST:ジェイソン・ビッグス、クリス・クライン、トーマス・イアン・ニコラス、エディ・ケイ・トーマス、ミーナ・スヴァーリ、アリソン・ハニガン、シャノン・エリザベス、タラ・リード、ナターシャ・リオン、ショーン・ウィリアム・スコット、クリス・オーウェン、ユージーン・レヴィ

いやー、笑いました。とても気持ちよく。そうでなくても青春モノには弱い私なのですが、この作品の高校生たちの「まったくもー」なダメっぷりと、見た目に全く華がなくて普通に冴えない感じは最高に情けなくて可愛い。そーそー、そーなんだよね、って笑い転げながら、男の子という生き物が愛しく思えてくる。そんな映画。下品?いいじゃない、下品で。高校時代なんてそれでいいんです。いや、それだから、いいんです。

何がいいって、主人公たちの人物造型がいい。普通にモテないダサい男の子、体育会系の背伸び君、絵に描いたようなオタク、結構彼女とイイ感じでもうあと一息!って子。さらに、それぞれの男の子を演じる俳優がものすごくフレッシュ。ほぼ撮影時に実年齢ってだけあって、セリフのリアルな楽しさったら。
ジム=ジェイソン・ビッグズのもっさり感と「ダサい」という言葉しか浮かんでこないキャラクター(パイのシーンのアホさったら・・・)。オズ=クリス・クライン(顔はかなりキアヌ入ってる)の「恋する体育会系」の純真な声と体。ケヴィン=トーマス・イアン・ニコラス(そうそう、こういう一見普通な子って何気なく彼女いるんだわ)が言葉にする「愛」の意味と、初めての朝の彼女との会話の痛み。すごい展開になっちゃうオタク君フィンチ=エディ・ケイ・トーマス(トビー・マグワイアの魅力的な部分を全部無くした顔の持ち主)の頭脳戦と変人顔とモカチーノ。見てるだけで嬉しくなる。ワクワクしてくる。
じゃ、童貞ボーイズが意味なく盛ってるだけ?いや、違うんだな。女の子たちにちゃんとハートがある。男前なジェシカ(ナターシャ・リオンの低い声とローテンションな過激さが妙に可笑しい)、いつも楽団の話ばっかりしてる変人少女、タヌキ目のお嬢さん(ミーナ・スヴァーリ、「アメリカン・ビューティ」前で初々しい)の「マトモ」さ、「愛」と「幸福」をセックスに夢見ているようなケヴィンの彼女。恋愛だけに頼らずに、ちゃんと皆まっすぐに自分の足で立っている子たち。そこに監督の品性を感じる。それに加えて家族のキャラクターの使い方が上手い。そうなのだ。青春映画に抜け落ちがちなのはココなのだ。自分の金で生活できない年代のダサい部分。ジムはエロビデオ見てたら両親出現してくるし、父ちゃんはエロ雑誌を配給してくるし。ケヴィンの兄ちゃん(おっと、ケイシー・アフレックじゃないですか)は秘伝の性の経典を教えてくれるし。いくらそれを使って彼女とお楽しみ中でも、夕飯の時間にはパパが呼びに来ちゃうし。(このシーンのパパの動きには大爆笑でした。)パーティ野郎、スティフラーのママは思い切りBitchだし。毒気とセンスが入り混じってワクワク。これの家族たちがストーリーにも後々生きてくるのがイイ!

決戦の3週間、日々変わっていく少年少女。四者四様のプロムの夜。卒業する頃には、みんな何となく気づいてる。「もう、こんな時期ないんだよね」って。きっと何かが変わっていくんだろう。あの夜を境に、良くも悪くも。でも、変わらずきっと彼らはバカをしつづけるんだろうなあ。ラストのHOT DOG屋のシーンで、しみじみ感じてしまうありふれた、けれどイビツな青春への愛しさ。
が、甘かった。このシーンで締めるために、映画全体が存在してたんだな、って思わせておいて・・・おいおい、ジェイソン・ビッグズ!アホだよやっぱりコイツ。何してんだよ!やっぱり、父ちゃんも変だし!まったくもう!と最後まで笑いつつ、何よりこの毒気とその後ろにある照れが愛しかった。そうなんだよね。素直に感動で終わりたくないんだよね。もっともっと、ダサいものだもの、高校生なんて。
お気楽セックス・コメディと侮ることなかれ。この毒気とセンスは癖になる。青春ってやっぱり楽しくてちょっと切ない。そして、・・・無茶苦茶ダサいものなのである! (2003.6.26)
 
アメリカン・ビューティー (AMERICAN BEAUTY) [1999.米] ☆☆☆☆☆

監督:サム・メンデス

STORY:僕はある意味で既に死んでいた。・・・レスター・バーナム。ありふれたサラリーマン。妻はバリ・ハイを聴きながらディナーを親子で取るのが幸福だと信じ、ガーデニングでは赤いバラを育て、住宅販売に燃えている。娘はよく分からないけれど何時も苛立って不貞腐れている。けれど続いていた日常。・・・しかしリストラの対象にされ、娘の友人に欲情したときから何かが彼の中で崩れる。幸せな家族って?異常によく出来たバッドで美しいコメディ。

CAST:ケヴィン・スペイシー  アネット・ベニング、ソーラ・バーチ、ミーナ・スヴァーリ、ウェス・ベントレー、ピーター・ギャラガー、クリス・クーパー

あまりに可笑しくて、引き攣りながら笑い転げた。そのあと、ぞっとして、ニヤっとした。高度に、巧妙に仕組まれた皮肉。この映画のために存在してたようなケヴィン・スペイシー。巧すぎ!レスターのいい加減な生き方と悲哀を見せられるのは彼だけだろう。ネットリとした存在感。あの死んだような目!優柔不断で、家族にコケにされ、妻と熱いキスを交わしたとたんバーカウンターで魂のない顔になって、娘の友人に欲情して薔薇の花を想像して・・・上手すぎる。
しかしよくこんなに性格の悪い映画つくれたなあ。皮肉の塊。シュールなまでの底意地の悪さ。さらにその底にある、かすかな人への、アメリカへの愛。抑えて、抑えて、笑わせる。それはケヴィンだけじゃない。アメリカの素敵な家庭のカタログのような生活を夢見る妻、アネット・ベニング、他人とコミュニケーションする術をゆがんだかたちでしかあらわわせない苛立つ娘ソーラ・バーチ、世の中の薄ら寒い幸福に気づいてしまった盗撮少年ウェス・ベントレー、娼婦幻想を逆手に取った美少女ミーナ・スヴァーリ、皆が何らかのフィルターを通さないと人と接することができない。そのどうしようもない可笑しさと哀れさに満ちている。でも、笑いつつもぞっとする。これ、うちのこと?って。うーん、上手いなあ。
全員がベストアクトを見せるキャストたちのなかでも(儲け役とはいえ)クリス・クーパーがイイ。厳格で、凶暴で、ゲイを憎んでいて、ナチスの晩餐に使われた皿をコレクションする父親。孤独さと裏返しの暴力の理由は・・・というのに説得力抜群。

にしてもホント、よくもまあこんなに意地悪な映画つくれたなあ。不倫、セックスレス、同性愛、ドラッグ、盗撮、暴力、ロリコン、雇用問題・・・アメリカの闇だらけの日常を、あくまでもブラックコメディとしてシリアスにならず作ったことで、余計浮かび上がる現実の醜悪さ。で、タイトルは「アメリカン・ビューティ」・・・絶対性格悪いよ、監督もキャストも。

あ、私は、性格悪いので、この映画大好きですよー。(2000.9)

 

アメリカン・ヒストリーX (American History X) [1998.米]    ☆☆☆☆

監督:トニー・ケイ

STORY:父親を黒人に殺された憎しみからスキンヘッドの白人至上主義グループの首領となり殺人を犯した青年とその兄を崇拝するように慕う弟。彼らが辿る過酷な現実を真摯な厳しい視点で描いた社会派作品。

CAST:エドワード・ノートン、エドワード・ファーロング

なんといっても兄役エドワード・ノートンと弟役エドワード・ファーロングのWエドワードというキャスティングの勝利。エドワード・ノートンの上手さは今に始まったことじゃないですけどね。(ちなみにショーン・ペンの正当な後継者だと思うんですけどどうでしょう。芝居の度に違う表情を見せるのはもちろんのこと、女の趣味が微妙にトラッシュなとこも含め。)
それはさておき、人種問題という重いテーマを扱うことのリスク(暗くなる・倫理的主張が増える→結果としてつまらない作品となる)を見事に回避しているのは、やはりこの2人の芝居の上手さと存在感だと思われる。
ノートンは独裁者の狂気に満ちたアジテーションと泣きじゃくるイノセンスのアンバランスさを見事に見せる。彼は望んでこうなったのか?・・・違う。彼は現実が許せなかっただけ。受け入れたくなかっただけ。ファーロングはスキンヘッドに咥えタバコのイキがった眼差しがかわいらしくも痛々しい。彼は本当に有色人種が憎かったのか?・・・違う。彼はただ、兄を崇拝していただけ。兄を愛していただけ。(彼の存在がこのテーマをより美しく表現している)
独裁が快楽を持たないというせつなさ。怒りは君を幸福にしたか?という問いの痛み。憎しみの連鎖に震えながら真摯に向かっていく、あまりに弱すぎる2人。・・・重いけれど、しっかりとこちらに投げかけられるテーマ。もうひとひねりは欲しかったけど。
過去をモノクロ・現在をカラーにした王道の演出もよかったようだ。(2001.8)

監督の問題で途中で編集が放り出されたため、この作品は最終的にはノートンによって監督・編集作業が進められたらしい。一説にはノートンの完璧主義と、演出への口出しに嫌気が差した監督のボイコット、との話もあるけど。エゴ強い性格俳優っぽい印象も、映画が本当に好きな生真面目さの印象も受けるエピソードだけど、何にしろ、あんたやっぱりすげえよ、ノートン。(何故かタメ口) 今更言われなくても本人が自身の才能は十分ご存知かと思いますが・・・ (2003.5 追記)

 
アンチェイン  [2001.日本]  ☆☆☆☆

監督:豊田利晃

STORY:アンチェイン梶というボクサーがいた。リングネームの"アンチェイン"はレイ・チャールズの名曲『Unchain my Heart』から取った。"心の鎖を解き放て!"・・・戦績は6敗1引き分け。たった1度も勝てなかった。やがて、ボクシングをやめた梶は何でも屋を設立するが、仕事はうまくいかず、浴びるように飲む酒とボクシングの後遺症で梶の奇行はどんどんエスカレートし・・・
梶を中心としてキックボクシングやシュートボクシングなど様々なリングで闘う男たち4人を、5年間に渡って撮り続けたドキュメンタリー。

CAST:アンチェイン梶、ガルーダ・テツ、西林誠一郎、永石磨 

千原浩史の思いっきりガラの悪い関西アクセントのナレーションから始まる、不思議な作品。どこまでもカタルシスのない、冷めたドキュメンタリーでありながら、なぜか見終えたあとには強烈に熱い印象を残す。多少の重さはあるが、やはり豊田利晃、今最も注目すべき監督だ。
傑作青春映画『青い春』を撮った人だから男を撮るのは本当に上手いんだけど(今、日本映画はとても少女趣味が強くなっているように思う。必ずヒロインを置き、恋愛や友情を描きたがり、意味ありげな台詞を言わせ、「無言」を多用し、家族を描写したがってませんか?)、今回さらに感心したのは音楽の使い方の上手さ。これまた、日本には珍しいんじゃないでしょうか。梶の歌う(バンド名は通天閣をもじってツテン・カーク。駄洒落がシュールの域に達した名前で可笑しい)の調子外れな長渕のような歌をところどころに挟み、あとは音楽を入れてあったのかすらわからない程度の巧妙な使い方。だからこそ、ラストでソウル・フラワー・ユニオンの「アンチェイン・マイ・ハート」が流れると染みてくる痛さ。
監督の視点が決して現れず、素材を巧妙に組み合わせて投げ出してくるだけ、というのも面白い。たとえば、梶(すごいキャラクターであることは間違いない。ドヤ街の喧噪とタオルはちまきの汗と胡散臭さを煮詰めたような男だ)の育ての親と実の親という格好の「映画」らしい素材に、ほとんど触れようとしないところ。たとえば、ガルーダ・テツ(典型的な大阪系のキック・ボクサー。常にハイテンション)が「梶やんが・・・」と楽しそうに爆笑しながら思い出を話すシーンの本人は楽しそうなのに、なぜか漂う「つまらない」空気。西林(いいヤツの顔をしている。いかにも、な弟キャラだ)が人生をかけ、婚約を解消してまで臨む試合の展開は淡々としたものだし、永石(いちばん「まっとう」な役割を担う男で、常に背負うものが大きいというキャラクターが面白い)の在日であることもさらりと流している。そう、ただただ「そこに、こんな男たちがいる」ことだけを見せていくのだ。

とはいえ、『アンチェイン』は、どうにもこうにもイビツなドキュメンタリーだ。中心になる人物が揺れ動き、何が描きたいのかの焦点はぼやけている。ファイト・シーンには一方のリングサイドの声しかない。さらに、そのファイト・シーンひとつひとつが必要以上に長く、まるでごく普通に半端な試合をTVで見ているような苛立ちを感じる。
けれど、このイビツさを含めてここにあるのは、圧倒的な「リアル」だ。そう、イビツさまでも彼らの「らしさ」なのだ。決して咲くことのないどころか、優れた敗者ですらない「ロッキー」、燃え尽きない「あしたのジョー」であるボクサーたち。そのさらけ出されたイビツな生き様、そこにあるリアルが、何とも奇妙に愛おしい。(2003.7.24)
 
8 Mile (8 Mile)  [2002.米]  ☆☆☆☆(+☆を【Lose Yourself】に進呈したい気分)

監督:カーティス・ハンソン

STORY:カリスマ&天才白人ラッパー、エミネムが俳優デビューを果たした半自伝的作品。デトロイトのトレーラーハウス住まいのホワイト・トラッシュ、B-Rabittことジミー・スミス。ラッパーとしての高いスキルを持ちながらも、どうしようもない弱さを持った彼の鬱屈した青春。すべてが最悪の状況になったとき、彼の「怒り」は強烈なライムに変わっていく・・・主題歌「ルーズ・ユアセルフ」はアカデミー最優秀主題歌賞を獲得。

CAST:エミネム、キム・ベイシンガー、ブリタニー・マーフィ、メキ・ファイファー、エヴァン・ジョーンズ、ダンジェロ・ウィルソン、オマー・ベンソン・ミラー、アンソニー・マッキー

場内を埋め尽くすエミネムキッズ(推定18・19歳、ジャージもしくはスウェット着用+キャップ、化粧濃いおねーちゃん連れ)に圧倒されつつ鑑賞・・・。気分は皆もうヒップホップスターなんだよね。いいのよ、別に、どんな格好しようと個人の自由。けどねー、エミネムの前にはダサさだけが極まってく。HIP HOPの世界観は格好じゃどうしようもないのだ。あの目を見よ。凄まじく暗い光を放つダークブルー・アイ。闘う少年の目。

ということでエミネムの存在感がとにかく素晴らしい。当世音楽界唯一無比のHIP HOP Star、【Eminem】の攻撃性ではなく、内向的な中にある反骨性を際立たせたカーティス・ハンソンの演出がきいている。主人公=B-Rabbitには無駄に喋らせない。彼のフツフツと湧き上がる怒りを捉え、ライムにその感情を込めていく真摯な表情に、「リアル」が浮かび上がってくる。
そう、この映画はとてつもなく「リアル」だ。息づかいがきこえる。体温を感じる。ドキドキする。
トイレの鏡の前で全身でリズムを刻むB-Rabbit。怯えと言葉にならない感情を抱えて、便器に屈みこみ激しく吐く彼の姿。そのバトルで無様に負けたときの、観客たちの熱気と苛めのようなブーイング・・・ファースト・シークエンスから、その一瞬一瞬の温度が皮膚で感じられる。アレックス(ブリタニー・マーフィー、ホワイト・トラッシュの不健全で俗悪な美しさを湛えて好演)とのラブシーンはその極みだろう。自動車工場でプレス機の無機質な音のなかで、もどかしそうにズボンを脱ぐB-Rabbitに、アレックスの細く白い肉体が絡みつく。手持ちカメラが、生々しくそのセックスの高揚感と現実感を捉えていてドキドキする。映画としての「リアル」がここにある。
そして、DISバトルシーンの「エミネム誕生」=「開き直りと先制攻撃」の瞬間、その温度は最高潮に達する。「俺はホワイト・トラッシュ、文句あるか?お袋とトレーラーで暮らし、女を友人に寝取られ、そいつの仲間に殴られボロボロ、それでもファック・フリーワールド!おまえの秘密を言ってやる、私立学校出身の坊ちゃんめ、ふざけんな」
演出と知りながら、彼の強い声に胸を熱くせずにはいられない。それだからこそあのラストの美しさが光る。
同時に・・・ややこしくも不思議な面白さなのが、これはエミネムであってエミネムじゃない、と思いながらやっぱりエミネムすげえや、という感情にどうやっても帰結していくという「リアル性」だ。男に依存する母親(キム・ベイシンガー、さすがの巧さ)との軋轢。小さな妹リリー(名前からして娘の「ヘイリー」ちゃんを思い出して仕方ない)を抱きかかえたときの愛に溢れた目。女を寝取られ怒り狂う姿(そりゃ実生活の元妻キムを連想するでしょ)、バトルでみせる毒と怒りと笑いに満ちたライムスキルの高さ・・・だが、ここにいるのはリアルなエミネムではないわけで・・・。んー、この作品はやはり奇跡的なのではないだろうか。

とにかく、作品そのものがエミネムでなければ成立せず、しかし彼の人気に頼ってはならないことを分かっている監督の手腕が光っている。【サクセスストーリー】でも【スター第一章】ですらもなく【プロローグ】に留め、ファーストステップの瞬間を描く、優れた青春映画。大傑作とまでは言わないが、素晴らしい作品といえる仕上がりだと思う。  (2003.5.25)
 
エリン・ブロコビッチ (Erin Brockovich) [2000.米]   ☆☆☆☆

監督:スティーブン・ソダーバーグ

STORY:離婚歴2度。3人の子持ち。無学、無職。貯金残高16ドル。仕事探しは難航、交通事故で首にはギブス。胸元もあらわに超ミニのスカートでキメた元ミス・ウィチタの逞しきシングルマザー、エリン・ブロコビッチ。そんな彼女が法律事務所のアシスタントの仕事に「強引に」入り込んだことをきっかけに、1枚の書類から大企業の環境汚染を暴き、634の住人の署名を集め、350億円という全米史上最高額の和解金を手にする・・・実話に基づいた物語。

CAST:ジュリア・ロバーツ、アルバート・フィニー、アーロン・エッカート、マージ・ヘルゲンバーガー、ピーター・コヨーテ

ここ数年、ジュリア・ロバーツのキリン化が進んでいる。ひょろ長い手足に加え、異様に細長い首。年を取るにつれ、目は一段とグリグリしてきてるし、巨大な口からべろりと舌を出したキリンをつい想像する。後ろ足で蹴飛ばしたらライオンも一撃必殺、状態。・・・なんて思ってたが、今回は見直した。俄然、見直した。
なんか、いいんだよなー。この役には彼女のガサツでイビツでアンバランスな部分がとてもはまっている。
率直に言えば、エリンは「イヤな女」だと思う。特に女にとって。強引で、自己中心的で、子どもを育てることに懸命だからとはいっても、あまりに自分の置かれた状況をきちんと理解できておらず、トラブルを巻き起こす。学歴のないことや、シングルマザーであることを彼女もまた今まで「盾」にしてきたはず。それをいきなり仕事に燃え始めたとたん、他人に要求だけは繰り返し、自分とは違う種類の人間は否定する。
なんてひどい女だ。と、思わなくはない。私はどっちかといえば、エリンがいやがるような、ダサいお堅い女だろうしね。それでも、エリンが全身で訴える「おかしいものはおかしいじゃない!」という姿には、何だか心が動かされる。きっと、周囲がそうだったように。エリンの最低な部分と、逞しさと、ほんの少しの愛らしさと、悩み。その事実を、事実のまま見せる、そのソダーバーグの手さばきはお見事!ってなもの。

「引退予定だったのに」とぼやきながらエリンに押し切られ、仕事へのプライドを取り戻していく弁護士アルバート・フィニーも(あのラストの余裕かました笑顔のかわいさったら!)、近所のバイカーあんちゃん(野性味にあたたかさを滲ませて好演!)アーロン・エッカートもいい!飄々と、斜め下からエリンを支えてやる男たち。ときに、ぶつかりながらも、彼女を対等に扱う男たち。彼女を女として以上に、人間として対等に扱っているからこその人間関係がそこにあるのが痛快。
トーマス・ニューマンのスコアもその微妙な気配をしっかり伝えてくれる。「アメリカン・ビューティ」に割と近いタッチで単調な中に、なんとなく不穏な気配とユーモラスな匂いを漂わせる。
強いていうなら、高慢な弁護士&お堅い女性弁護士コンビの描き方が一面的になってしまっていたのだけが残念。彼らにもまた、エリンに警戒するに決まってるようなバックグラウンドがあるはずだし、彼らなりの「正義」だってあるはず。いくらイヤな奴でも、どこか多重な部分は見せて欲しかったな。とはいえ、一歩間違えば、傲慢な話になるところを、スレスレで抑えたこの作品の「誰もが100%いいヤツじゃない。誰もが、こんなに上手くいくはずじゃない。それでも、チャンスがあればやってみていいことだってある・・・そうでしょ?」という目配せは、なかなか粋なものだと思う。

(ちなみに、ジュリア・ロバーツはNunoが最も嫌いな女優のひとり。キリン説も彼が言いだしたのだ。実は彼が相当罵倒してた映画なので、ずっと見逃してたのである。)  (2003.8.16)
 
オスカー・ワイルド  (Wilde)  [1997.英]   ☆☆☆(+☆、ジュードの麗しさに。)

監督:ブライアン・ギルバート 

STORY:優れた作品を多く残し、大ヒットにも恵まれたにもかかわらず同性愛で投獄され、不幸な末路をたどった天才作家オスカー・ワイルドの後半生をじっくりと描く。世紀末ロンドンに咲いた悪徳と耽美の世界を、ヴィクトリア朝の世相・風俗とともに高潔な文芸作品のテイストで見せる力作。

CAST:スティーブン・フライ、ジュード・ロウ、バネッサ・レッドグレーブ、ジェニファー・エイル、マイケル・シーン

「世の中には2つの悲劇がある/望むものを得られぬ悲劇/それを得る悲劇」
オスカー・ワイルドの人生はラストに発せられるこの言葉に尽きる。優れた才能。幸福な家族。美しい青年たちとの愛。・・・そのなかで、出会ってしまったアルフレッド・“ボジー”・ダグラスとの愛。それを手にすることでそれまでの「自分」を失っていくワイルド(スティーブン・フライ、驚く程似てます)。彼の童話「わがままな大男」の朗読が間に織り込まれ、ワイルドの悲劇を切なく彩る。
ワイルドが面白いのは、彼自身が悪徳を好みながらも性格は心おだやかで、「才能ある常識人」だったという点。その一方で、ボジーはあくまでも才能はなく、貴族のプライドを振りかざし、悪徳を楽しむだけの我儘な、ただとてつもなくきらめく美しさを放つ青年。才能を持つのを、若くない大男オスカーに設定したところに味がある。(近い設定だが若者が全てを持つ『太陽と月に背いて』より、この作品のほうが格段味があって面白い。また文芸作品において、原語はとても重要だ。『太陽・・・』でランボーの英訳詩を冒涜行為と感じた人も多いだろう。逆にこの作品は数々の美しい英語フレーズが生きている。)
ただ、この映画、後半最後の重大ターム、裁判関連の流れに関してが面白くないのだ。悲劇への堕ち方を長くしすぎ、オーバーな音楽と語り口の単調さに飽きてしまう。落魄の見せ方はこの映画の最も大切な課題だろうに。残念。どうせならもっと凄まじく堕してほしい。もっともっと、地獄を見せてほしい。

でもね。それはそうなんだけどね。

癇症で、無償の愛を一方的に求める(彼には「与える」なんて概念はない)ブルジョア美青年、「運命の男」=ボジーを演じたジュード・ロウを堪能するだけでこの映画は価値がある、と思うのだ。ジュード・ロウは不思議な美形だ。アンバランスな肉体も面白いが(超なで肩で首が細く長いが、華奢ではなく男性的。意外に胸毛濃いしね。)とにかく笑顔が印象的だ。特に笑うときの横顔(正面だと驕慢そうな部分が若干強く浮かぶ)が最高に魅力的なのだが、その笑顔を浮かべるときの彼は、大人っぽい顔立ちにも関わらず、自分の美しさを知り尽くしたような少年のような表情をするのだ。で、彼が面白いのは少年の表情をしながら、異常に性的な気配を漂わせること。しかも男と絡むと面白いほどこの気配が強くなる。オスカーの前で他の男と戯れるシーンは彼が見せるその表情が最高に輝いていて、最高にエロティックだ。煙草に火をつけてやる仕草のいやらしさったらない。セックスシーンも悪くないが、こういう危なっかしい表情の妖気がすさまじい。
最近では堂々たる大作主演を張り続けているジュードだが、この頃(当時24歳くらい)の異常なエロスだけは捨てないで欲しいなあ、と思う。とにかくやはりジュードからは目が離せない。 (2003.6.5)

 

 

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