CINEMA REVIEW 2004

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『あ』行の映画。

■アイデン&ティティ  ■イン・アメリカ 3つの小さな願いごと  ■インファナル・アフェア

■運命の女  ■エレファント  ■オレンジ カウンティ

アイデン&ティティ [2003.日本]  ☆☆☆☆

監督:田口トモロヲ

STORY:ときはバンドブーム。メジャーデビューを果たし、デビュー曲『悪魔とドライブ』がヒットしているロックバンド“SPEED WAY”。ギターの中島、ボーカルのジョニー、ベースのトシ、ドラムの豆蔵。4人はバンドとしての将来に苦悩し始めていた。ある夜、思うような曲が作れず苦しむ中島の4畳半の鍵なし部屋に、「ロックの神様」が現れる。『ディラン』に似た「神様」はこの日から度々、中島の前にだけ姿を見せる。その度に、自己嫌悪を繰り返し、煩悩に負け、不安だらけになっては彼女にすがる中島。やがて、バンドブームは終息しはじめ、新たな試練が彼らに突きつけられる・・・

CAST:峯田和伸、中村獅童、大森南朋、マギー、麻生久美子、コタニキンヤ、あき竹城、塩見三省、大杉漣、岸部四郎

愛です。愛。この映画を貫くのは、愛。なんてこの男たちは自分勝手なロマンティストなんだろう。そう思いながらも、映画ごと抱きしめて、家に連れ帰りたくなるような、そんな愛おしさが募る。ちょっとひねた青春ものかと思いきや、もう純粋極まりないコテコテの「男子映画」。モラトリアム男子三原則(ボンクラ/煩悩/音楽)に則ったどこまでも情けなくまっすぐな「男子映画」。例えばニック・ホーンビイ作品同様の苦い温かさ・・・私のツボにこないはずがない。確かに、このモラトリアム男子と女神のような女子の理想関係は、甘いという声が出ても仕方あるまい。が、それも含めて男子。それも含めて青春。そして私は青春に弱いのだ。

大槻ケンヂのエッセイに以前出てきた「彼女」のエピソードを思い出す。詳細は忘れてしまったが、笑うと目が糸になる、気の合う優しい女の子の話。一気に有名になって、女の子入れ喰い状態で遊び狂ってるモラトリアム男子(大槻)は、本当に好きな彼女を抱くことはできずに、ずっと月日が流れてしまう。最後に彼女が泣きそうな顔でにっこりして「何で抱きしめてくれないのだ?」(「キスしてくれないのだ?」だったかな?)言ったときに、何も言えなかった・・・というエピソード。あの切なさが全編に満ちていて、それだけで泣きたくなった。しかし、ホント駄目男にはこういう最高級な女の子がくっついてしまうんだよなあ・・・。

中島を演じた峯田和伸はホント素晴らしい。モサッとした風貌に眼鏡、その下の童顔。「眼鏡はロックじゃねーのかよ」「僕は彼女に褒めてもらわないと何もできないのだ・・・」「こんなの・・・ロックじゃねえ!!」「・・・すいません」というフレーズのひとつひとつにあふれ出る男子感。こんな男と付き合ったら、ロクなことないだろう。それは分かってる。けれど、「彼女」(麻生久美子、ジャージ姿が可愛い)が彼を好きな理由も分かるのだ。不幸じゃない自分、日本で中産階級で普通に育ち普通に大人になった、「ロックする権利のない自分」へのコンプレックスを吐露するモノローグは圧巻。(原作にあったくだりなのだろうか?)日本の音楽シーンへの小さなメガトンパンチ。ベストキャスティング!中村獅童はまあまあ。大森南朋とマギーは予想以上の好演。押さえた中に見せる気弱さと優しさが素晴らしかった。コタニキンヤが爆笑演技で場をさらう。「感じの悪さ」を仰々しく見せた彼の功績は評価に値する。

強いて言うなら、2点気になるところが。時代考証の緩さは意図的かもしれないが、私にはちょっと違和感があった。バンドブーム後期からもう10年は経ってるが、その時期の様子も今の高円寺と何ら変わらないのはどうかと・・・。もうひとつは、個人的な希望になるが「彼女」にも煙草を吸わせて欲しかった。音楽仲間たちが皆煙草を吸う中、「彼女」に吸わせないのは疎外しているようで残酷な気が。煙をフワリとあげるシーンがあれば、音楽を愛する男の子を愛する、ということを分かっている「彼女」の懐の深さも表現できただろう。
でも、そんなことは些細なこと。この映画に溢れる「愛」って、実はストーリーだけじゃない。ファーストシーンからエンドロール迄、そうそうたる登場メンバー、監督&スタッフ全てに共通する「大人」になったロッカーたちが、間違いなくこの映画を愛し、素晴らしいものにしてやろう、という意欲に満ちていたこと。決して、カッコイイだけじゃないことを認めた上で「あの頃」を意外なまでにシビアに、ノスタルジアに流されず愛というロック魂を炸裂させてみせる。その気概は、とても爽やかで、とても愛おしいもので、最高に好ましかった。(2004.1.14)
 

イン・アメリカ 3つの小さな願い事 (In America) [2003.米]  ☆☆☆(+☆、ボルジャー姉妹のあまりの可愛さに)

監督:ジム・シェリダン

STORY:アイルランドからN.Y.へ。4人家族がやってくる。売れない俳優ジョニーと妻サラ、幼い娘クリスティとアリエル。ボロボロのアパートで始まった、ささやかだけど幸福な生活。しかし、家族は不幸な事故がきっかけで小さな息子フランキーを亡くした過去に苦しんでいた・・・やがてサラが再び命を宿し、同じアパートで不治の病に蝕まれた画家マテオと出会ったとき、彼らの生活は変わり始めた・・・監督自身の体験をふたりの実の娘とともに脚色。ファンタジックでヒューマンなある家族の物語。

CAST:パディ・コンシダイン、サマンサ・モートン、ジャイモン・ハンスゥ、サラ・ボルジャー、エマ・ボルジャー

「小さな子を失い、希望を失って移住してきた家族が、貧乏な暮らしのなかで」「人と出会い、個々が成長し、やがて希望を取り戻すまで」のお話。・・・前半に比重が置かれているかと思いきや、実は後半がこのストーリーの全てといってもいい。そう、この作品、実は普遍的な家族の物語。決して遠い話じゃなかった。

何と言っても「お利口さん」で、静かに自分のすべきことを考え続けているお姉ちゃんクリスティと、天真爛漫で全身から生命の喜びがわき出しているような妹アリエル(「Why?」という可愛らしい声が耳から離れなくなってしまう!)の二人姉妹が放つ奇跡的な輝きがこの映画の魅力だろう。
それに・・・個人的な話だが、2人姉妹で育った私は、ものすごく姉の必死さが実感されてしまったのだ。私は不器用な子どもだった。とにかく真面目でワガママも少ないが、口は達者で、納得しなければ動かない、イマイチ掴み所のない子。一方で妹はまっすぐな性格で、愛されるのが得意で、無邪気だった。そんな妹がどこまで私を必要としていたかは分からないのだが、とにかく妹を守るのは私だ・・・、と幼い頃から私は真剣に思っていた。妹が怒られれば代わりに謝ったり、つまらなくても一緒に遊ぶのは義務だと信じていたり。(これって一種の長女体質なんだろうなあ・・・)なものだから、珍しく感情移入。どんなシチュエーションでも「私はお利口さんで妹のそばにいなきゃ」という強いハートのお姉ちゃん、クリスティの気持ちがせつなくてせつなくて。
彼女が澄んだ声で歌う「デスペラード」に乗せて、家族の日々が描写されるシーンはこの映画の最も美しい瞬間といえるだろう。絶望から立ち直れずにいる両親に、不思議な絵描きのマテオに、彼女は歌う。「絶望した者よ、どうか迷いから目覚めて。愛する人に心を開いて」切なくて、ひたむきで、なんともホロリとさせられる。

ああ、それに対して、なんてその両親は無邪気なんだろう。まるで陸上選手のような筋肉質な手足の母親らしい逞しさが印象的なサマンサ・モートン、気弱な笑顔が特徴で地味さがハマリ役のパディ・コンシダイン(『24アワー・パーティ・ピープル』のロブ役だったとは・・・全然気づきませんでした)、役者はふたりともいいのだが、こんな親であってほしくない。せめて、娘たちの力を借りずに立ち直る瞬間が描かれていたらなあ・・・と思ってしまった。自分たちの悲しみから抜け出せないのは分かるけれど、クリスティのあの言葉まで、彼女がどんなに家族を守ってきたかに気づいていないなんて!というところで、自分が長女であったが故に姉に感情移入しすぎて両親の子どもっぽさが歯がゆくて・・・イマイチ乗り切れなかった部分はあるのだが、とにかくそのぶん、この姉妹のあまりの健気な愛らしさには泣けてしまった。全身から「あたしたちがしっかりしなきゃ」という強い思いを感じさせる二人が愛しくてたまらない。演じたのは実の姉妹でもあるサラとエマ。ふたりのとびっきりの笑顔と出会えただけでも、この映画は十分な価値があると思う。 (2004.3.20)

 

インファナル・アフェア (無間道 INFERNAL AFFAIRS) [2002.香港]  ☆☆☆☆

監督:アンドリュー・ラウ、アラン・マック

STORY:エリート警察官ラウ、実はマフィアの内部潜入者。マフィアの幹部ヤン、実は警察からの潜入捜査官。善と悪が混沌とする香港闇世界のなかで、かつて警察学校ですれ違ったふたりの男は「自分が生きるはずのもうひとつの人生」を決してクロスせず歩んでいく・・・はずだった。しかし、大規模な密輸事件で、ラウが上司の様子から「潜入」の存在に気づいてしまったことで、運命の輪が狂っていく・・・ノワールの傑作の呼び声高く、香港フィルム・アワード主要7部門受賞、ハリウッド史上の最高額リメイク化権でも話題を読んだ作品。

CAST:トニー・レオン、アンディ・ラウ、アンソニー・ウォン、エリック・ツァン、サミー・チェン、、ケリー・チャン、チャンプマン・トウ、エディソン・チャン、ショーン・ユー

全てが鮮やかな映画。ストーリー・テリングの妙、伏線の利かせ方の巧さ、ノワールなタッチと映像のリズム感、キャストの華、全てにタメとキメが織り込まれ、引き込まれてしまえばもうあっという間の102分。(このコンパクトなまとめ方も巧い)難を言えば音楽のうるさいところと「顔見世」的な女優陣への違和感が気になったけれど、それをしのぐのはその鮮やかさ。娯楽作品とハードボイルドの融合が、心躍らせ昂ぶらせる。

まずはそのアイデアに感じる鮮やかさ。「善と悪」と「無間地獄」をファーストとラストで呼応させるその巧さもさることながら、やはり潜入捜査官に対する「マフィアの犬」を持ってくるという反転の着想の勝利。「エリートの」マフィアと「エリートの」警官がそれぞれ逆の道を辿っていく中で地獄を見るという設定にゾクゾクするほど興奮した。ホンモノのエリートのみしかありえない世界だからこそのシビアさが光る。(これがチンピラではお話にならないのだ!)最低限にとどめられたアクション、緊張感溢れる追走劇のシビアなドライさも新しく(携帯という小物がここまで見事に使われたのを初めて見たような気がする)見事なストーリーテリングには感服。
2大スターの個性が見事に活かされた、その俳優たちの凄み溢れる名演もまた鮮やかだ。どこかに常に強い陰を感じさせるトニー・レオンの眼差しの確かさは相変わらずだが(「俺は警官なんだ」という呟きがあの眼差しの元で放たれる重み。情けなさも醜さも弱さもさらけ出した彼の眼差しはいつもながら切ない・・・)、今回はアンディ・ラウが素晴らしく魅力的だった。いかにもなエリートルックの知的さのなかに鮮やかに放たれた野卑かつタフな精神の気配。彼でなければ、ラストの展開に説得力をもたせることはできなかっただろう。眩しいスター・オーラが痛ましくしかし鮮やかな幕切れまでを見事に彩る。脇のオヤジや舎弟たちがまた、いい顔で、いかにも昔気質の男の顔をしていることにも注目。アンソニー・ウォンは冷静沈着でありながら優しさをかすかに感じさせ、エリック・ツァン(「ラブソング」の入れ墨ヤクザは泣かせてくれたなあ)は温厚なルックスの中に陰険さと嫉妬深さを感じさせる。全てが対照的になった構図が面白い。
そして、目にも鮮やかな色の美しさ。視覚効果はあのクリストファー・ドイル!(香港映画の色を変えたのは紛れもなくドイルだと思う。作品の性質上あのカーウァイ作品の鮮やかな色彩とはいかないけれど、十分にドイルの美的センスが光っている)この抜けるように爽やかな青空の下、行き着くところまで行くしかない男たちの切なさが染みる。

こんなふうにアジアから、「アジアであること」に頼らない世界標準な作品が登場していることが、眩しく嬉しい。(2004.4.6)

 

運命の女 (UNFAITHFUL) [2002.米]  ☆☆☆☆

監督:エイドリアン・ライン

STORY:NY郊外で暮らす家族。小さな会社を経営するエドワードと美しく頼もしい主婦の妻コニー、生意気だけれど可愛い息子。3人家族の幸せな、ありふれた生活。しかし、妻コニーは強風の日に転んで怪我をしたことをきっかけに出会ってしまう。古書商の美青年ポール。フランス語訛りの甘い言葉。若くしなやかな獣のような体。やがて不倫関係を持つようになるのは止められないことだった。そそて、それは大きな破綻の始まりだった・・・

CAST:リチャード・ギア、ダイアン・レイン、オリヴィエ・マルティネス、チャド・ロウ、エリック・パー・サリヴァン

決して予想を大きく裏切るような作ではない。むしろ、予定調和すれすれだろう。もしかすると、思いっきりハーレクイン・ロマンス寄りのラブサスペンスになっていたかもしれない。(この部分で評価も相当割れた作品だろう)それなのに、何故だろう。不思議に引きつけられる。それは、多分この作品に私が映画を観るとき最もこだわっている「リアル」が焼き付けられていたからだ、と思う。とはいえ、「リアル」といっても私の場合、結婚もしてない、子どももいない。しかも年が年なので不倫云々について考えを述べるのもどうかと思う。でも実は、そんなことではない部分に圧倒的な現実感を感じたのだ。
この作品には不倫というテーマを上回る「サバービア・ライフの痛み」があった、と思う。主婦として生きる者だけでなく、「普通に生きている」者たちが何でもないことをきっかけに踏み入れてしまった「都会」。恋愛映画のようだけれど、私はこの作品、あくまでもその痛みを描いたものに感じられた。(ま、地方都市育ちで、未だに郊外やありふれた日常、中流といったことに恐怖を覚える私だけなのかもしれないが。)少なくとも、繰り返し地下鉄を使うシーンが出てくるのは偶然ではないだろう。彼女はどうしようもなく惹かれてしまったのだ。「街」の男に。古書を扱う、という知的な空気に。家族と郊外で過ごすことを選んだ美しい女性が、気づいてしまった疑問符。「今、幸せだけど、これでいいんだろうか?」「私は、満足していたのだろうか?」「私は、家族も、彼も別のカタチで愛せている?」・・・気づいたら、もう止まれない。


家族を持つということの重み、切なさをラストまで徹底して書ききったこの脚本、男性が書いたというのが結構驚く。しかも割とベテランの脚本家。ところどころの異様なリアルが怖い。子どもが吐きだした菓子を当たり前のように口に入れ、何気なく夫に鋏を向け、トレーナーのタグを切るコニー。そしてコニーの友人の女性同士の彼女が席を立ったとたんの「整形かしら」という囁き等々・・・その生々しさに驚く。

キャストは皆抜群によかった。強風にあおられながら髪を靡かせて振り向くダイアン・レインの美しさは特
筆モノ。ラブシーンでの苦しそうな息遣い。地下鉄で押さえる火照らせた頬。彼女の強気な顔に浮かぶ数々の表情がこのストーリーを引き立てたのは間違いない。フランス正統派の甘苦い官能性を徹底して見せたオリヴィエ・マルティネス(髭の剃り跡が妙に青く生々しいのが気になった・・・がこの役にはそれが妙にはまっていた)も端々に傲慢さを滲ませ好演。そして、このドラマの根底にある「妻を愛し、家族を愛し、理由なき不倫に苦しむ夫」を演じたリチャード・ギアの好演も推したい。「シカゴ」もそうだったけど、妙にオジサマプレイボーイ気取りなラブストーリーより、こういった捻り(歪みといってもいい)を持った作品の彼のほうがずっといいなあ。 (2004.1.6)

 

エレファント (Elephant) [2003.米]  ☆☆☆☆

監督:ガス・ヴァン・サント

STORY:その日、ジョンは父親のせいで遅刻して校長に呼び出された。イーライは大好きなカメラで写真を撮っていた。少女は憂鬱そうに着替えていた。カフェテリアにはダイエットを気にする仲良し組の女の子たちがいて、廊下では体育会系少年と少女のカップルが愛を囁いていた。いつもの平和な一日。ひとつだけ違ったのは銃を抱えて校舎に入っていくアレックスとエリックがいたということ・・・「コロンバイン事件」をモチーフにして描かれた青春群像劇。カンヌ映画祭パルムドール・監督賞受賞作。

CAST:アレックス・フロスト、エリック・デューレン、ジョン・ロビンソン、イライアス・マッコネル、クリスティ・ヒックス、ティモシー・ボトムス 

ずっと、孤独が怖かった。たくさん人がいるなかでも、周囲と楽しく話していても、突然感じる恐怖。孤独という自意識の病気。一度とりつかれてしまったら、どうすることもできない。ただただ怖い。干渉されるのが怖いくせに、嫌われるのがもっと怖い。ささやかな日々は決して不幸なものじゃない。なのに、どうしようもなくひとりぼっちな自分を感じていた。何て言うと「考えすぎの自意識過剰」と言われるだろう。至極、正論。もしくは「思春期特有の精神状態」なんて説明してもらえるかも。こちらも正論。でも、笑顔を作って一生懸命周囲との関係を保つことで必死で「不安」というモンスターと格闘していた日々の私がそんな言葉を聞いたとしても全くリアルじゃなかった、と思う。私はホントに必死だった。やせっぽっちの小さな肩と背中をいつもギチギチに凝らせた優等生は、ぶっきらぼうな性格を覆い隠して不安な日々を戦っていた。

「エレファント」はカンヌでのパルムドール受賞のときから気になると同時に観るのをためらう映画だった。というのも、コロンバイン高校銃撃事件を扱うことによるセンセーショナリズムを狙ったものだったら不快だし、社会的な告発を意図するのであればこの事件をドキュメンタリー的にフィクションで再現するという行為はあまりにあざとすぎる・・・という思いがあったから。でも、やはり興味が募り、観てみたらそのどちらでもなかった。ガス・ヴァン・サントの目は全く違うところに向いていた。ひとりひとり時間軸を少しずつずらして静かに再現された「その日」の物語において、彼の目が捉えたのは「不安」だったのだ。
高校生たちは得体の知れない孤独と不安を背中に背負って時間をやり過ごしている。緩やかで、絶望的に何もなくて、当たり前で、とてもささやかな日々・・・それを象徴する、不安げな少年少女の背中。ただただ手持ちのカメラで浮遊するように追う彼らの背中は、頼りなく無防備で、無性にせつない。そしてその背中を通じて、個々の高校生たちの眼差しを追体験していると、時折ぞっとする描写が突きつけられる。たとえば、眼鏡の真面目で自意識過剰な文系少女が鬱陶しそうに空を見上げるシーン。たとえば、食堂でガヤガヤとした騒音のなかで、いじめられっ子のゴス少年が立ちすくむシーン。何気ないなかに彼女や彼は緩やかにその学校で死に始めていることが暗喩される。その一方で、カメラ少年がパンクなカップルに写真を撮らせてもらうシーン、教室で女の子がママがするようなキスを男の子にするシーンには奇妙な温もりが感じられる。そのどちらも、事実なのだと思う。そこには不安で頼りない日常が流れていた。その瞬間まで、ずっと。

本当は・・・事件に関しての「ホントのこと」なんて誰にも分からないのだ。ただ彼らの日々が唐突は途切れただけ。それが、死ということ。その日に起こってしまったことの全て。そういうかのように唐突に終焉する物語はあまりにも切なく、淋しく、やりきれない。けれどそれ以外の「真実」なんてやっぱりなかったのだと思う。確実なのはそのとき、少年少女たちはぞっとするほど「何もない日々」を必死に、けれど静かに戦っていたということ。それは、私自身の苦い思い出と重なり、彼らの失われた日々の重さを実感させるには十分な描写だった。

・・・ふとひとつの言葉を思い出す。岡崎京子の「リバーズ・エッジ」に挿入されたウィリアム・ギブスンの詩だ。
【僕らの短い永遠。僕らの愛。平坦な戦場で僕らが生き延びるということ。】
この静かに崩れゆく日常の物語、静謐で淋しい映画には、このフレーズがよく似合うな、と何となく思った。 (2004.4.21)

 

オレンジ カウンティ (Orange County)  [2002.米]  ☆☆☆(+☆☆、好きですから。)

監督:ジェイク・カスダン

STORY:南カリフォルニア、オレンジ・カウンティ。ある日一冊の小説との出会いによって作家になることを夢見て、猛勉強を始めた無気力高校生ショーン。退屈な日常、うんざりするような家族。僕はここから出て、スタンフォードに入って、作家への道を切り開くんだ!ところが事態は予想外の展開を見せ、ショーンは(異様に)動物好きな彼女や(薬物中毒気味だけど)弟思いの兄貴の力を借りつつ悪戦苦闘する羽目に・・・。脚本は「スクール・オブ・ロック」のマイク・ホワイト。

CAST:コリン・ハンクス、ジャック・ブラック、スカイラー・フィスク、キャサリン・オハラ、ジョン・リスゴー

トム・ハンクスの息子・コリン・ハンクスにシシー・スペイセクの娘スカイラー・フィスク、監督はローレンス・カスダンの息子・・・となぜか「二世」たちが勢揃いしているという妙な青春コメディ。彼らの肩の力の抜け方がよかったのか、とても可愛くて素敵な青春映画でした。好きだなあ、こういうの。カメオ出演も豪華だし、音楽の使い方もいいし、劇場未公開作というのが勿体ないなあ。ボンクラ青春映画好きなら観て損なし!
にしてもマイク・ホワイトって、もしかするとホントに稀代の名脚本家になる人なのかもしれない。「スクール・オブ・ロック」でのファミリー映画的要素にトリヴィアルなロック小ネタを絶妙に織り交ぜた脚本の素晴らしさは記憶に新しいけれど、その原点がここにも十分感じられる。何でもないコメディのようで、変則的ではあれど話術巧みに皮肉と笑いと優しさを織り交ぜた物語、台詞の数々に唸る。ただ、あのオチの付け方だけは予定調和すぎて、意地悪な私なんかはもっとひねって欲しいとも思ったのだけど。ま、これはこれで青春ものらしくてよいのかもしれない。

田舎町の閉塞、なんて本人は感じてるけど、周囲は誰もそのことに違和感すら感じてないほど凡庸で、それを指摘することさえ意味がない世界。例えばそれが荒廃した街なら閉塞した暗雲が立ちこめて、ダークな映画のような世界がありえるかもしれないけど、何しろ「オレンジ郡」。海辺のややアーパーなあんちゃんとお嬢ちゃんばっかりの世界。ゆるーい空気で【不良】にもなれない世界。アホ教師や無責任な家族たちに囲まれても「良い子」であり続けるショーンの姿にチクチク心が痛む私はそう、地方出身文学部卒。ああ、分かりすぎるほど分かるなあ、ショーンのもうここから出たいよ!という発想。決してこの街がキライなんじゃないけど、もうここにいたら自分の未来なんて消え去ってしまうと思っちゃうほど緩慢な世界。でも、それだけの問題じゃないよね?という問いかけに、笑いながらもまたもチクリと心が痛い。そう、それもまた事実なのだ。(あのスタンフォード大のパーティでの女の子たち!このシークエンスは最高に可笑しい。)

コリン・ハンクスが良い味。日本だったら妻夫木聡がやりそうな役を嫌味なくこなして(心なしかちょっと妻夫木君似な気もする。もちろん父親にも似てるんだけどね)好感度大。そして相変わらずのジャック・ブラック大暴走。今回はヤク中の厄介な兄貴役で、パンツ一丁のシーンが大量に・・・その緩い腹まわりだけで笑えてくる。でもちゃんといい時に良い表情するんだなあ、これが。素敵。んでもって、ちょこんと出演しているマイク・ホワイト本人。これまたやっぱり素敵なのであった。 (2004.5.16)

 

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