ボウリング・フォー・コロンバイン(Bowling
for Columbine) [2002.米] ☆☆☆☆☆
監督:マイケル・ムーア
STORY:言わずと知れた、コロンバイン高校事件の背景にあったのは病んだアメリカの銃社会。突撃取材と皮肉な笑いで知られるマイケル・ムーアが現代のアメリカ社会とブッシュ政権に冷ややかなNOを突き出すドキュメンタリー。
CAST:マイケル・ムーア、マリリン・マンソン、ジョージ・W・ブッシュ、チャールトン・ヘストン
コロンバイン高校での銃乱射事件の際、マリリン・マンソンや、ゲーム、見ていた映画は問題視された。しかしその朝、犯人の少年たちがやっていたボウリングは何故問題にされない?という半ば冗談のような切り口から、マイケル・ムーアはアメリカの現実を冷ややかにシンプルに、何よりユーモラスに突きつけてくる。この「笑い」がポイントだ。アカデミー賞の過激なスピーチも印象深いムーアは、淡々としたドキュメントなんて作る気がないのだ。笑えるものを作ろうとしている。明確な意図だ。
カメラと笑いのチカラを心得たマイケル・ムーアは怖いものなしだ。気が付くと、私たち(=観客)はマリリン・マンソンの知性に驚かされ(「恐怖と消費の一大キャンペーンだ」という表現の言いえて妙なこと!)「アイ・ラブ・NY」Tシャツのカナダ人おじさんに大爆笑し、チャールトン・ヘストンの哀れさに悲しみと強い怒りを覚えている。ただ、そのバックにあるのはあくまでも「笑い」の視点だ。気づくとマイケル・ムーアがニヤリと笑ってボウリングをしている。
はてさて、この作品。今世界に必要なものは暴力ではない、というのはすぐに提示されているが、じゃ、実際は何が必要なのだろう?
ちなみに数年前に私は「暴力とセックス(=痛みと快楽。それに対してイマジナティブになること)が世界を救う」なんて断言してましたが・・・撤回します。
イマジナティブに、だけでなくそれを笑いに昇華させること。昇華させうるだけの知恵をもつこと。
マイケル・ムーアは、その重要さをそれとなく素材に盛り込んでいく。戦争の記録フィルムに重なる「What a Wonderful World」の使い方が抜群に上手い。知るべき事実。「何と素晴らしき世界」じゃなくて「何と素晴らしきアメリカ」がいいんでしょ、という皮肉。
多少説教じみた部分はあるけれど(「出稼ぎ母」のエピソードは重要ではあるけれど、ちょっと引っ張りすぎな印象だし、Kマートへの直談判が効果をもたらしてしまうところは事実とはいえちょっと出来過ぎ)、何より今のアメリカでこの作品を出した勇気と正しい狂気に点が甘くなる。簡単に答えを出していないことにも好感が持てる。必見。(2003.3)
追記その1:実は私が一番納得したのは「サウス・パーク」のマット・ストーンの言葉。「コロンバインはひどくウソっぽい学校で、リトルトンはうんざりするぐらい平和で変化のない町だ。あの頃、たとえば、試験で失敗したら、そのまま一生負け犬でいなければならないという恐怖に支配されていた。・・・でも実際は?あのころの優等生が地元で生保のセールスマンだ」・・・この言葉、異常にリアルに響いた。例えば、成績優秀だったとしても、周囲がそうじゃなかったら?例えば、スポーツができても、それがアメフトや野球じゃなくてアメリカで馴染みのないスポーツだったら?周囲と違うものを認めない、皆平均値+αを求める社会。平均以下+β、じゃ駄目な学校社会。馬鹿馬鹿しい。けれど、その中にいるときはそれが絶対だと信じてしまう。・・・日本の学校社会にも同じことがあって、私も苦しんだ過去が(実は)ある。思い出したら悔しくなってきた。くたばれ、似非民主主義教育!
追記その2:ちなみにこの映画を見た際の恵比寿ガーデンシネマはものすごい混雑だった。ニュースで好意的に紹介されたことがきっかけだろう。けれどマイケル・ムーアもまた、メディアの人であり、これはドキュメンタリーの形をとった「彼の」主張だ。その事実をきちんと見据えた上で、この作品は鑑賞していくべきだと思うなあ・・・ (2003/8 追記)
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